エビデンスベイスドアプローチとナラティブアプローチ

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さて今回は、臨床心理学を支えるビッグフェイスの二つを紹介するまとめ記事の最後は、その二つの関係に関してです。

第一回:臨床心理学の2本柱ーエビデンスベイスドアプローチ
第二回:エビデンスベイスドアプローチの歴史
第三回:臨床心理学の2本柱ーナラティブアプローチ
第四回:エビデンスベイスドアプローチとナラティブアプローチ→今回の記事

相反するエベデンスベイスドとナラティブ

ナラティブと相対主義

ahirutyan

前回の記事では、ナラティブな考え方とは、人それぞれに物語があって、それが集まって現実の世界が構成されていると考えることでした。

ここで逆に、裏を返してみます。人それぞれに物語があるということは

絶対的な物語・これが唯一の正解はない

ということです。

絶対的エースという言葉などもあり、絶対という言葉は有名ですが、その「絶対なんてものはないんだ」という考え方を相対主義といいます。

ナラティブはこのように相対主義的な側面を持っているのです。

ここでおや?と思うわけです。臨床心理学の2本柱のもう一方はエビデンスベイスドという考え方でした。

エビデンスベイスドは科学的にデータを徹底的に重視します。それにより明らかになるのは、絶対的で客観的な真実です。

矛盾しますね。

科学と絶対的真実

心理学と物語

エビデンスベイスドは科学的な態度の基本です。数字によって与えられるデータから論理的で普遍的な真実にたどり着くことが科学の目標です。エビデンスベイスドとナラティブの概念をテーブルで整理しました。

エビデンスベイスド・アプローチ ナラティブ・アプローチ
 物事の捉え方  数字・データ・絶対的真実  ストーリー・それぞれの物語
 分析対象  観測された数字  語り

臨床心理学が進んでいる英米では、相反するこの二つの考え方をベースとしています。ではどのように折り合いをつけているのでしょうか?

手を取り合うエビデンスベイスドとナラティブへ

臨床心理学における2本柱として

nihonbashira
実は、一見矛盾するように見えるエビデンスベイスドとナラティブアプローチはお互いを補うように臨床心理学を支えているのです。いわば車の両輪のように、どちらかが欠けては臨床心理学はまっすぐ進むことはできないのです。

ナラティブな考え方は、今まで積み上げてきた臨床心理学の実証的データを否定しかねません。なぜなら、臨床心理学自体も、個人が持つ物語と同様に、一つの物語に過ぎないと考えるからです。

そうではなく、ナラティブな考え方を、一歩引いたという視点を大切にすると、エビデンスベイスドとナラティブアプローチは仲良く手をつなぐことができます。

ナラティブな考え方では、臨床心理学の知識自体を一つの物語として、一歩引いた立場から見ることになります。以前の記事にも書きましたが、臨床心理学が行う実践的介入の中に心理療法があります。心理療法には様々な流派が存在します。ナラティブな考え方はそうした流派一辺倒の考え方から距離を取ることを教えてくれます。

また、臨床心理学の理論から一歩引くということは、クライアントの個別性、主体性に寄り添うということにつながります。クラインアントの経験する物語は、エビデンスベイスドな考え方で統計的に処理された名前のないデータと完全に一致することはありません。

以上の説明ではナラティブの必要性がつらつらと書かれていますが、そのなかでエビンデンスベイスドの果たす役割は大きいです。

物語がクライアントの数だけあるとしても、そのクライアント個々人に適切なケアをその都度、理論的な背景もないままに考え出すことはほぼ不可能に近いでしょう。

それよりも、ここのクライアントの主体性に寄り添いながら、臨床心理学の持つ理論を参照枠として用いながら、アセスメントし援助の方向性を模索するのが現実的であり、現在の臨床心理学はこれを実践の基本的姿勢としています。

そこで、参照枠としての臨床心理学の理論の制度、信頼を高めるためにエビデンスベイスドの考え方が不可欠になってくるというわけです。ここに、ナラティブな考え方とエビデンスベイスドの考え方の相乗的な関係性への糸口が見て取れます。

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