「救いたい」という言葉は自己中心的

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こんにちは!臨床心理学専攻のひぐらしと申します!あと二ヶ月で大学院進学ということで若干緊張しています。

さて、今回は僕が二年ぐらい前から思っていたことをまとめて記事にしてみました。

「救いたい」と公言する人

FacebookやTwitterなどのプロフィールで

 

  • 「被災した人を救いたい」
  • 「貧困で苦しんで居る人を救いたい」

 

などの言葉を目にすることがあります。

 

このような言葉に対して2ちゃんねるなどでは

 

  • 「偽善者乙」
  • 「誰もお前に頼んじゃいない」
  • 「Fラン大学の学生が偉そうに」

 

という言葉が向けられます。僕はこの批判全く適切だと思いません。困っている人の力になりたいという気持ちは本物だと思いますし、結果的に力になることができれば、相手の人も嬉しいだろうからです。

しかし、僕はこの「救いたい」という言葉に違和感を感じずにはいられません。

 

 

それはこの「救いたい」という言葉が

 

自己中心的な言葉

 

だからなんです。

自分が中心にいるという意味での「自己中心的」という意味です。自分勝手という意味での「自己チュー」とは違います。

「救いたい」という自己中心的な言葉

物語の主人公と脇役

この世界は、一人ひとりが主人公の物語から出来上がっています。その物語に優劣はありません。誰もがかけがえのない自分の物語を生きています

 

「救いたい」という言葉、一見これ以上に他者中心的な言い方はないように思います。困っている人の人生を、幸せなものに変えていきたいとする気持ちは素晴らしいものです。

 

しかし、一歩離れてみてましょう。「救いたい」という言葉を使った時、

 

物語の主人公は誰になりますか?

 

それは、「救われている」人ではなく「救っている」人なのではないでしょうか?つまり、「救う」という行為によって、「救われる」人の人生の主役を奪ってしまっているのです。

それは、あたかも悪者から救われた市民が脇役で、スーパーマンが主人公になるのと全く同じです。

ドラえもんの主人公は誰か

dora
http://dora-world.com/sbm_book/images/dora.jpg

ここで具体例を出してみましょう。

みなさんご存知『ドラえもん』。主人公は誰だと思いますか?

 

  • 「ドラえもん」
  • 「のび太」

 

あなたはどっち派ですか?どちらを主人公と考えるかで物語の見方は全く違うものになります。

 

ドラえもんが主人公であるとします。そうすると、「ダメなのび太くんをドラえもんが救っている話」というように見えます。

 

反対にのび太が主人公であるとします。そうすると、「ダメなのび太くんが、ドラえもんの力を借りて成長していく話」というように見えます。

これ全く違う物語ですよね。僕は圧倒的にのび太くんが主人公であると見るようが好きです。

僕が言いたいのは、「救う」という言葉の裏に、「救われる」人の物語をないがしろにしてしまう自己中心性が隠れているということです。

「救う」ではなく「支える」

では「救う」という言葉ではなく、どのような言葉を使えば良いでしょうか?

 

それは支えるという言葉です。

 

支えるという言葉を使えば、物語の主人公はあくまで「支えられている」人です。「支えている」自分は脇役です。

僕は圧倒的に「支える」という言葉の方が好きです。そして、福祉や心理職の基本的な原則はこの「支える」という姿勢です。

 

あなたも「救いたい」という言葉を使う時は、そこに隠れる自己中心性に気づく必要があるかもしれません。

最後に

「救いたい」という言葉の裏には、このようなある種の暴力性のようなものがあります。

「救いたい」という言葉を使う人は無意識に、その暴力性を秘めているのかもしれません。今一度、自分の気持ちを見つめ直す必要があります。

偽善者であるかどうか。それは自問自答してからということになりそうです。

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