「発達障害」を受容するということー障害受容の問題

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こんにちは!大学で臨床心理学を勉強しているひぐらしです。来年から大学院ということで春休みもひっそり勉強しています。

 

先日この本を読みました。

『発達障害に気づかない大人たち』。発達障害の本をブックオフで見つけては買い漁っています。その中の一つです。

 

この本の一番の特徴は、著者の星野仁彦さん自身が「発達障害」だということです。ADHDの不注意型(通称のび太型)なんだそうです。星野さんは「生きづらさ」を乗り越え、精神科医としてご活躍されています。

当事者であり、精神科医である星野さんが自分の経験を交えながら、発達障害について説明しています。そのため説得力があるのです。

 

 

しかし、本を読んで「もやもや」っとしてしまいました。今回の記事では僕がモヤモヤを感じた

 

発達障害を受容するのが果たして良いことなのか

 

ということをテーマに記事を書きます。僕自身、まだまだわからないことも多いので是非当事者の方の意見などもいただけたらとても嬉しいです。

 

「発達障害」ってそもそも何?

前提としての知識を確認しておきましょう。

「DSM」という、精神医学における診断マニュアルがあります。その最新版のDSM-5では、発達障害を「神経発達障害」という大きなくくりで表しています。

細かい定義を紹介している本から引用します。

中枢神経系(脳)の発育・発達が、何らかの理由(遺伝、妊娠中・出生時の異常、乳幼児期の病気など)で、生まれつき。または乳幼児期に損なわれ、言葉、社会性、協調運動、基本的な生活習慣、感情や情緒のコントロールなどの発達が、未熟、アンバランスになるために起こる(p29)

長いですが、要は

 

  • 脳が原因となって症状が現れる
  • 発達がアンバランスであること

 

という二つが「発達障害」の特徴です。

 

発達障害は細かく分類されます。具体的には

  • ADHD
  • 自閉症スペクトラム
  • 知的障害
  • 学習障害

などの分類があります。聞いたことある方も多いのではないでしょうか?

一応補足なのですが、発達障害が必ずしも、知的なハンディを持つわけではないということは強調したいと思います。Twitterのタイムラインを見ていると「発達障害=バカ」というようなツイートを見たりします。これは完全に間違いです。

 

発達障害は受容すべきか

この本の主張:発達障害を受容すべき

この本では、発達障害を受容すべきという立場を取っています。

一般的に、発達障害というものは見過ごされやすいです(最近は意識が高まっていますが、その反面間違った知識も広がりつつあります)。

 

発達障害が見過ごされると、発達障害に伴う「困った行動」「変わった行動」などが、人格や性格の問題として扱われてしまいます

例えば、落ち着かない症状のあるADHDの場合、「あいつは我慢できない性格だからな〜」というように悪口を言われたりするということです。

 

この本のタイトル『発達障害に気づかない大人たち』というのはここから来ているのです。発達障害に気づかずに性格の問題として症状が扱われてしまう。

この本の著者である星野さんは、それを「いかん!」と言っているのです。

 

それをなくすために、まずは「発達障害を受容すること」をお勧めしているわけです。受容した上で、「脳の働き」を治療していくというわけです。

 

受容して治療

 

という立場ですね。実際に、服薬をすると症状が改善することが多いので有効な方法ではあると思います。

 

 

これを読んでめちゃくちゃ「もやもや」っとしたんですよね。この「もやもや」を言葉にして二つにまとめました。

 

  • 「障害」という言葉にマイナスイメージしかないこと
  • 「障害」が相対的なもの

 

順番に説明します。

 

発達障害はマイナスなことか?

「障害」という言葉にはネガティブなニュアンスが伴います。いきなり知らない人から「障害者だ」と言われたら何だか嫌な気分になります。

「発達障害」もその「障害」という言葉にひきづられ、一般的にネガティブな症状だけにスポットライトが当たってしまいます

 

違います。「発達障害」にはポジティブな面もあるのです。「発達障害」とは、できることとできないことがはっきりしている、つまり

 

個性が強い

 

ということなんです。社会の中ではどうしても「できないこと」に焦点が当てられてしまします。しかし、歴史的に偉業を成し遂げた人には「発達障害」とされる方が多くいます。

 

「できること」を見ていく。そのためには「障害」という言葉はあまりにも邪魔です。

 

障害の基準は相対的

僕がこのブログで口を酸っぱくして言っていることです。「障害」という言葉は

 

人と比べて

 

という視点が入っています。要は医学的な基準の押し売りなのです。そうした背景を知らずに、「発達障害」という言葉だけが一人歩きしてしまうのは問題です。

 

 

押し売りされる「発達障害」を受け入れる義理はどこにあるのでしょうか?

 

受容して治療することが本当に良いのか

 

 

自分の子供が発達障害だったら?

 

ということをよく考えます。

 

「自分の子供が発達障害と言われたら、どう思うかな?」

 

多分嫌だなと思います。なんだかネガティブなレッテルを貼られた気がしてしまいます。それは、上にあげた二つの理由からです。

でも、もし子どもの「生きづらさ」がなくなるなら、「発達障害」を受け入れてもいいかなと思います。しっかりと受け入れて、治療につなげることは自分自身のため、なにより子どものために必要なことだと思います。

 

自分でもふわふわしたまま結論を書くのですが

 

「生きづらさ」を抱えていたら「発達障害」を受容するのも一つの選択肢です

 

というのを僕の答えとしたいと思います。

 

無理に「発達障害」を受け入れる必要はないと思います。「発達障害」は今の所あまり適切な言葉とはいえません。それを無理して受け入れる必要はないでしょう。

まして、実生活で困ってないのに、「あなたは発達障害です」と言われたら「だから?」となって当然だとおもいます。別にそれでいいんじゃないでしょうか?

 

ただ、もし、発達障害と思われる症状のせいで「苦しさ」や「生きづらさ」を抱えたら、診断を受けて治療していくというのは、おすすめできる選択肢です。

 

とここまで書いてみて、既視感を感じました。

 

私がADHDの治療をしないと決めた理由

書かれていた…!自分でブックマークもしていました笑

この記事の存在意義…ほとんどなくなってしまいました笑

 

 

 

 

これを機に「発達障害」というものを考える機会にしていただけたら嬉しいです。そして、当事者の方の意見もぜひお聞きできたら、勉強している僕にはなおのこと嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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1 個のコメント

  • 初めまして、ひぐらしさん。突然のコメントをお許しください。
    私は最近ADHDと診断を受けた30代の主婦であり、6歳になる軽度知的障害を伴う自閉症スペクトラムの男の子のママでもあります。我が家の場合は息子が私より先に息子が診断を受けたのですが、診断を受けた当初は「早くに気付いてあげられて良かった。この子の生きずらさが少しでもなくなるように理解して、支援してくれる人達がこの子の周りには沢山いる。本当に良かった。」と安堵感を覚えました。私自身、保育士と幼稚園教諭の資格を持っているので、比較的早い段階で息子が所謂「定型発達」の子ども達とは違うことが分かって、息子に対してやってあげられることがあることが嬉しかったです。
    で、私の話になるのですが、私は現在32歳なのですが、私が子どもの頃には「発達障害」なんて概念自体が全くなく、当然必要な支援もなかったですし、本当に野放し状態でした。何となく自分が周りの子から浮いているような気がしたり、他の子が簡単にできることができなかったりと苦労したり、「変わってる」と言われることも多かったので、いじめの対象になったりもしました。その理由も分からなくて、今までずっと「生きずらさ」を抱えてきました。ですが、「ADHD」という診断を受けて、ずっと私の周りにあった「見えない壁」のようなものがはっきりと認識できて、少しだけ光が見えてきたような気がしました。幸い、今は大人の発達障害関係の本も沢山出ているし、工夫したり、薬(ストラテラ)の力を借りたりして、少しずつではありますが前を向こうとしている過程です。ですが、診断名を知った当初はショックと動揺を隠せませんでした。「青天の霹靂」って感じで。私の障害の受容にはまだ時間がかかるかもしれません。何せ、これまでの人生で私のマイナスの面(忘れ物が多い、集中すると時間を忘れて没頭してしまう、衝動買い、思ったことをすぐに口に出してしまうこと、整理整頓が苦手なこと、攻撃的なところ、注意散漫なところ等々・・・)ばかりに目を向けられてしまって、「私に良いところなんてあるの?」って思ってしまっているのも事実なので…。

    ひぐらしさんのブログはとても読んでいてとても温かい気持ちになります。これからも応援しています!長々と読んでいただいてありがとうございました^^

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